2026/04/01 10:57
芸術作品と向き合ったときに生じる感情や体験は、人それぞれに異なる。それは極めて自然なことだ。ある作品は、特定の人に強烈な「既視感(デジャヴ)」を呼び起こすが、それはおそらく、その人の記憶に刻まれた神経回路と深く関わっている。神経科学者のエリック・カンデルは、芸術作品が私たちの生理的反応を引き起こし、私たちは自らと共鳴する物語を用いて、一枚の絵を脳内で補完しているのだと説いている。
ここで、対照的な二つの作品を取り上げてみたい。


第一の作品は、スウェーデンの画家グスタフ・フィエスタード(1868~1948)が1906年に手掛けた『Running Water』であり、第二の作品はポーランドの画家レオン・ヴィチュウコフスキ(1852~1936)による『Study of a tree』である。表面的なテーマや技法は対照的だが、不思議なことに、どちらの作品も私の中に確かな既視感を呼び起こした。
『Running Water』は、写実の極致とも言える技法で、両岸が雪に覆われた小川を描き出している。水面のきらめきは、あたかも金箔を散りばめたかのように揺らめきながら流れ、その水の冷たささえも、肌に伝わってくるかのようだ。この光景が呼び起こす既視感はあまりにも強く、自分がいつかどこか、遠い記憶の中でこの場面を確かに目にしていたのではないか、という錯覚さえ抱かせる。一方、『Study of a tree』は一見未完成のようであり、緻密な写実とは対極にある。しかし、力強い幹や枝に付着した苔の表現が、不意に私の記憶の深層に触れ、既視感を呼び覚ましたのだ。
私は、これこそが芸術の最も言語化しがたく、かつ抗いがたい魅力なのだと感じている。
