Clooouds Ed.

2026/06/19 13:05


私たちは、天然鉱物に深く魅了されてきました。それは単に、その姿や輝きが千変万化だからではありません。鉱物そのものが、長い時間の積み重ねを物語る存在だからです。


同時に、博物学もまた私たちを強く惹きつけてきた分野のひとつです。たとえば、芸術家であり博物学者でもあったジェームズ・サワビー(James Sowerby)は、数多くの美しい鉱物図譜を残しました。それらは、科学と芸術が見事に融合した優れた実例だと言えるでしょう。



一方で、日本の金箔工芸もまた、鉱物に負けないほど長い歴史を持っています。寺院や漆器、屏風、工芸品、さらには食品に至るまで、私たちはさまざまな場所で金箔の姿を見ることができます。


しかし、その伝統的な日本の金箔工芸を、どのように現代へと接続していくのか。それは私たちが長く考え続けてきたテーマでもあります。



天然鉱物と金箔の組み合わせは、その問いに対する私たちなりのひとつの試みであり、現時点での答えでもあります。私たちは、この二つの異なる「時間の媒体」を通して、一つの芸術的な対話を生み出したいと考えました。しかし、その対話は当初の想像以上に難しいものでした。





まず私たちの前に立ちはだかったのは、箔の素材と鉱物の選定です。すべての天然鉱物が金箔に適しているわけではありません。それは鉱物の質感や色彩だけでなく、その鉱物がすでに持っている「美の完成度」とも関係しています。


たとえば、ある重晶石や蛍石は、その光沢の変化や結晶の造形、質感のコントラストだけで十分に完成された美しさを備えています。そのような鉱物にさらに金箔を施すと、かえって過剰となり、美しさを損ねてしまうことさえあります。


また、金箔に適した鉱物を見つけたとしても、その鉱物の色彩にふさわしい箔を選ばなければなりません。たとえば、モリオン(黒水晶)には金色の金箔を、赤皮水晶には赤色の光陽箔を合わせる、といった具合です。


さらに、すべての鉱物が唯一無二の存在である以上、箔をどこに施すのか、どのような流れを描くのか、どの程度の割合で用いるのかといった判断も、作品全体の調和を大きく左右します。


もちろん、どれほど入念に構想を練ったとしても、失敗する作品は少なくありません。その理由もさまざまです。完成した姿が想像とかけ離れていたり、色彩の組み合わせが調和しなかったり、制作後にさらに良い方法を思いついたりすることもあります。


鉱物を観察するという行為は、実に興味深い一方で、とても苦しい作業でもあります。なぜなら、蛍石の透明感のような鉱物本来の美しさをできる限り残しながら、同時に金箔を、時にはひびや内包物など一見平凡に見える部分へと施さなければならないからです。


正直なところ、この微妙な均衡感覚を言葉で説明するのは簡単ではありませんし、普遍的なルールとしてまとめることも難しいと感じています。



それでも、鉱物と金箔による「時空を超えた対話」はすでに始まっています。そして私たちは、その対話に大きな可能性を感じています。


それは、伝統工芸と自然が刻んだ時間への敬意であると同時に、金箔と鉱物を愛する私たちによる、芸術の現代化へ向けた小さくも前向きな試みでもあります。


一つひとつの金箔鉱物作品が持つ、それぞれ固有の美しさを、どうかゆっくりと味わい、楽しんでいただければ幸いです。